陶芸エッセイ


掲載内容が変わって行きます

 私は苫小牧市のタウン誌「苫人」の創刊号から陶芸物語として、エッセイを書いてきました。以下に紹介して
行きますので、興味のある方はお読みください。

平成10年9月  「菊練もまた楽し」 紹介終了
平成10年12月  「制作と製作」 紹介終了
平成11年5月  「右手左手 右脳左脳」 紹介終了
平成11年7月  「名工道具を創る」 紹介終了
平成11年9月  「高難度技法 象嵌、練上」紹介終了
平成12年1月  「はすかっぷ焼の釉薬」 紹介終了
平成12年4月  「私の陶芸哲学」本ホーム頁参照
平成12年7月  「陶器製ビアマグ」 紹介終了
平成12年9月  「窯出し」 紹介終了
平成13年1月  「駒沢大学と陶芸」 紹介終了
平成13年5月  「窯変」 下記紹介中
平成13年7月  「釉薬は高温の科学」 紹介終了
平成13年11月  「湖東焼」 紹介終了
平成14年1月  「ロサンゼルスの陶芸家」 紹介終了
平成14年4月  「陶芸の人間国宝」 紹介終了
平成14年8月  「活躍する門下生」紹介終了
平成14年11月 「轆轤による大壷制作」 紹介終了
平成15年2月 「練上縮織焼作品を出品」 紹介終了
平成15年4月 「個展における多かった質問」 紹介終了
平成15年8月 「作品に植物の象嵌」 紹介終了
平成15年11月 「松井康成氏を偲ぶ」紹介終了
平成16年1月 「NHKほくほくテレビに出演」 紹介終了
平成16年4月 「猫の手を借りた壷」 紹介終了
平成16年7月 「陶器と磁器」 紹介終了
平成16年9月 「窯は常時使用してこそ」 紹介終了
平成16年12月 「チャリティ‐展」 紹介終了
平成17年5月 「苫小牧焼きの拘り」 紹介終了
平成17年8月 「国際芸術祭に参加して」 紹介終了 本ホームページ参照
平成17年11月 「焼成の妙」 紹介終了
平成18年2月 「陶芸家と陶工」 紹介終了
平成18年5月 「作陶歴52年」 紹介終了
平成18年8月 「文化向上の一端を」 紹介終了
平成18年12月 「磁州窯展」 紹介終了
平成19年2月 「文化奨励賞受賞」 紹介終了
平成19年4月 「焼き物と金属」 紹介終了
平成19年7月 「花しぐれ」 紹介終了
平成19年11月 「蓋付き丼という器」 紹介終了
平成20年1月 「箱書き」 紹介終了
平成20年5月 「耐火度」 紹介終了
平成20年8月 「陶磁器の絵付け」 紹介終了
平成20年12月 「板谷波山展」 紹介終了
平成21年1月 「話題の中空土偶」 紹介終了
平成21年5月「失敗は成功のばね」紹介終了
平成21年8月「電動轆轤挽きのデモ」紹介終了
平成21年12月「素質・努力・運」紹介終了
平成22年2月 「泥象嵌」紹介終了
平成22年6月 「作陶歴55年記念陶芸展」紹介終了
平成22年9月 「陶芸家の健康管理」紹介終了
平成22年12月「展示台のクロス」紹介終了
平成23年2月 「NHKの電波にのる」紹介終了
平成 24年2月「紛らわしい陶芸語」紹介終了
平成24年9月「伝統工芸北海道展」紹介終了
平成25年2月「ウィンザーホテル陶芸講師」紹介終了
平成25年6月「オンリーワンの陶芸」紹介終了
平成25年9月「古九谷を鑑賞して」紹介終了
平成26年2月「TPPと陶芸」紹介終了
平成26年9月「個展を終えて」紹介終了
平成27年8月「切抜練込」紹介終了
平成28年2月「やきもの市」紹介終了
平成28年9月「白陶土」紹介終了
平成29年2月「ホームページ」紹介終了



平成29年9月 「霙(みぞれ)焼」
 
本年の制作研究を霙焼に設定した。霙焼は30年も前から手掛けていたが、霙志野
焼という到達点で一時休止していた。まだまだ入り口であり奥の深い道であるのに、
佇んでしまっていた。
 本年はこの霙焼を、とことん究めようと考えテーマに設定した。施釉方法に私のオ
リジナルと言える特殊な技法を使用する。当然使用する道具も私が作った独自のも
のだ。
 白釉だけで行うと、あたかも霙雪が降ったような肌合いを呈する。抹茶碗やぐい吞
に霙志野という銘で行ってきた。ほぼ完成に近い段階に達している。
 これを多色で追求してみたいというのが今回の方向だ。霙雪タッチの多色施釉と言
ってよい。これも当初から手掛けてはいたが、極め尽くすことはこれからなのだ。多
色となれば何百何千もの組み合わせが考えられ、発展は尽きない。いずれとんでも
ない作品が生まれることもあり得る。未知の世界に踏み入る楽しさだ。
 私は昨今、既に高齢であることを否応なしに意識させられる。いくら気力で頑張ろう
としても、83歳の体力は、腰が痛い、肩が痛い、膝が痛い、首が痛いという形で、老
化が表れている。大作はもう向かない。
 霙焼は、小作で十分表現可能であり、現状の私にとって最適の研究テーマと言え
る。作品は私のホームページで徐々に発表して行きたいと計画している。


平成30年2月「スペインと芸術交流

 80才を期に日本工芸会を退会したので、芸術家としての活動量も減少し、存在
感が薄れつつあるような気がする。
 しかし何故か海外からの出品依頼が途絶えない。2017年も私の所属している
組織AMSC(国際美術評論家選考委員会)スペイン本部から、アートメゾンビエン
ナーレ2017に請われて出品することになった。日本とスペインのアーチストの交
流が主たる目的の催しである。ゴヤ、ルーベンスなど、故人の作品も参考展示さ
れた。
 私の作品は以前にモナコで行われたコートダジュール国際芸術祭に出品したも
のをという指定があり、「切抜練込縮面花文大壺・花しぐれ」である。主催者側がも
う一度あの壺が見たいというのである。
 私は長距離の旅行が無理なので、作品だけ参加したが、後程会場の写真や鑑
賞に訪れた方々の感想などが送られてきた。大変盛況であったようだ。私の作品に
対するアンケートも届いたが、日本の美の極致、高度な技術など、自分で言うのも
おかしいが、好評であった。
 この作品は、2018年発行される図録本「アートメゾンインターナショナルVol 22に
集録される。8000円から9000円で販売もされるので、希望者は書店で購入でき
る。AMSC日本支部から全国の美術館、図書館、大学などに贈られるとも聞いてい
る。この展覧会で私の肩書が一つ増えた。AMSCスペイン本部芸術家会員というこ
とだ。今後も精進しようと思う。


平成30年9月「書籍アートメゾン」

 昨年10月、スペインで行われたアートメゾンビエンナーレに私の作品が招待出品と
なったことは前号に紹介した。展示されたスペインや日本の作家と作品を紹介する
書籍が、本年4月に麗人社から発行された。B4判440頁の豪華本、書店でも8000円
で購入することができる。私の作品も2点2頁見開きで掲載されている。書籍名は
「ArtMAISON vol22」である。

 私の作品についての解説文は、A.M.S.Cスペイン本部のペドロ・フランシスコ・ガ
ルシア氏が書いている。【陶芸作品は最も歴史の古い芸術の一つである。時代が
移るにつれて、陶芸家たちは多種多様な表現方法を探求するようになった。この
興味深い芸術家・小﨑彩秋もその一人だ。

 この芸術分野における彼の最も大きな功績は、完全なる独自の陶磁器作成方法
を確立したということである。『切抜練込縮面花文壺「花しぐれ」』は、切抜練込という
オリジナルの技法で制作された作品、透かし彫りのように粘土を切り抜き、そこに
色が違う土を練り込むため、作品の内と外に同じ模様が表れる。成形した壺に後か
ら着色したのではないのだ。日本の陶芸では伝統的な形状の壺であるが、小崎は
そこに自分なりの解釈を加えて、オリジナリテイ溢れる新しいものにしている。芸術
家全員がこのことを成し遂げられるわけではない。偉大な創造者である小﨑彩秋だ
からこそ可能になったのだ。.】

 身に余る評価であり、制作時の苦労が報われたように思う。


平成31年2月「地震」

 
寝静まった午前3時数分、私は寝床から本能的にとび出した。陶芸家にとって一
番恐ろしい大地震が遂に来た。展示棚の作品が落下して破損するからだ。一個ず
つ精魂込めて手作りした作品はまさに我が子であり、破損することは身を切られる
思いなのだ。
 震度4までは今までも数度経験しているが、破損はなかった。今回の揺れは違う。
大きな被害が予想された。
 我が工房には私の作品ばかりではなく、陶芸教室の生徒のものもある。道展出
品用に制作中のSさんの大壺も、電動ろくろの上にセットしたままだったので心配し
たが、奇跡的に無事だった。(Sさんはその後この壺を道展に初出品し入選した)
 「作品達よ、どうか無事でいておくれ」胸の大きな鼓動と震える手で、展示館のド
アを開けた。「ああ」思わず叫び声が・・・・目に入ったのは大破した大壺の姿であっ
た。一息してからよく見ると
、割れた大壺は「切抜練込花しぐれ」シリーズの最高傑作であった。NHKその他の
取材が続いた時に、桐箱から出して展示したままにしてあったのだ。
 切抜練込は、割れた破片の断面を見せると技法の説明ができると共に難度がわ
かる。そんな破片にも愛着があり、、大きなものに足を着け皿に改造してみた。個
展などで技術の説明にも利用できる。ささやかなプラス思考だ。
 厚真、むかわ、安平など大きな被害に合われた皆様に、お見舞い申し上げると
共に、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。


令和元年9月「作品は我が子」

 私たちにとって作品は我が子同様。買われたり寄贈したり作品が我が手を離れる
時、娘を嫁がせる時の心境になる。
 小物の日常雑器であっても「大事に使ってもらいなさいよ」と祈る気持ちになる。
いわんや大皿や大壺になると、わが命をすり減らし精魂込めて制作したものである
から、「いつまでも輝き続け見る人を幸せにしてほしい」と願いを込めて送り出す。
 さて昨年、悲しい報告が二件続いた。一件目は、Sさんに買われた径60㎝クラス
の大皿が2枚
、あの大地震で破損したと言うのだ。Sさんは2枚とも皿立てを使って居間に大事に
展示していたが、大地震の揺れで倒れて割れたという。私の展示室でも大壺が割
れた後だけに二重のショック。Sさん本人から告げられた時全身から血の気がひい
た。
 二件目は多くの人々が目にしたと思うが、温泉施設の目立つところに、長期間展
示されていた中型のはすかっぷ焼壺。年末の大掃除で掃除婦が落として割ったと
いう、美術品や工芸品に対する取り扱いの基本がなっていないのでは。寄贈したも
のであるから私に言う権限はないかもしれないが、作者としての気持ちはある。貴
重なものを取り扱うときは、腫物に触るような気持ちになるもの。私は三越の美術
会場で、日本工芸会の作品展示作業を幾度も行っているが、人間国宝の作品を展
示する時など、白手袋を履いた手が震えるくらい緊張した。しかし落とすことなど毛
頭考えられない。
 二件とも我が子が他界した心境。悲しかったり腹が立ったり、複雑な気持ちが織
りなしている。


令和2年2月「飛鉋(とびかんな)

 「飛鉋」は今も陶工の修業項目として脈々と続く。九州地方の小石原(こいしわら)
焼、小鹿田おんた)焼などが名産地。
 ろくろ成形では、高台を削り出す作業が必ず行われるが、表面処理の特殊な削り
として生み出されたのが飛鉋。鉋の刃がリズミカルに跳ねて削れ、表面が点々と飛
んだ模様になる。飛鉋の模様がより目立つようにするために、地の色とは違う化粧
土を表面に施してから飛鉋をかけるのが普通。私もそうしている。特殊な削りである
だけに、その技は修業を必要、初めからうまく行くものではない。やり直しがきかず、
一発勝負であるところにも難しさがある。
 飛び鉋用の鉋はバネの効いた鋼鉄が使われるが、薄過ぎても厚過ぎてもうまく行
かない。私は勿論自作しているが、なかなか適当な材料が見つからず、実験を繰り
返して作っている。
 実際の飛鉋の施し方は、文章で説明できる程簡単なものではない。見てもらうの
が一番なので、陶芸教室で受講生に行わせる時は、必ず私がやって見せてから真
似をさせるようにしている。右手の親指と人差し指で鉋の端を軽く挟んで支点とし、
左手の人差し指で鉋の中央部を軽く押さえ力点とする。ろくろを回転させ鉋の刃を
軽く器に触れさせると、刃が上下に跳ねて飛び鉋の模様ができる。刃を作品に当
てる角度が一番難しい。ろくろの回転速度も微妙に影響する。
 電動ろくろでないとできない奥の深い技法でうまく行くと頗る楽しい。



苫人発行終了により以後他誌の掲載なし

令和2年9月「掻落」


 陶芸の表現方法のひとつに掻落(かきおとし)という技法がある。中国磁
州窯が原典。
我が陶芸教室のSが、道展に出品する作品を、掻落でやってみ
たいと言うので、指導することにした。
 Sは前年、象嵌大壺で道展入選を果たした。今度は大皿で出してみたいと
いう。
問題は図案。私が門下生達に常々厳しく言っていることがある。「作
品として表現する場合は、決して出版されている図案集や、他人の図案をそ
のまま写したりしてはいけない。それは盗作になる。自分でスケッチしたも
のを基本として、図案化する。あるいは自分の脳から湧いてきたイメージを
もとに、図案化する。それが原則だ。」
 Sにもその原則を守って次回までに案を考えてくるようにと、宿題を出し
た。さて、Sが考えてきた図案はあやめ図であった。勿論自分のスケッチを
元にしたものではない。
見た途端私は、江戸時代の著名な画家、尾形光琳の
かきつばた図を思い浮かべた。本人は本で見た絵を変えて図案化した。とい
う。そのまま写したのではないという点では、逃げ道もあるが、イメージと
して尾形光琳そっくりなのだ。そこで指導の範囲として少し入り過ぎかもし
れないが、私がアルテン(市の公園)で写してきた花菖蒲の写真を元に、
花の形を大きく変えさせた。花菖蒲の花びらが、皺しわに縮みが入る特徴を
表現させた。掻落では容易に図案の修正ができる。

 Sはめでたく「掻落花菖蒲文大皿」で、二度目の道展入選を果たした。



令和3年2月「轆轤制作の芯立て」

 電動轆轤で制作するには、最初に粘土の芯を立てなければならない。回転してい
る轆轤の上で、粘土が揺れずに細長く立って見える状態にするのが芯立てだ。「動
く轆轤に動かぬ芯」という言葉がある。芯がぶれていないのだから、少し離れると止
まって見えるのだ。
 この芯立てがうまくできなければ、作品もうまくできない。器の周囲の厚さが厚かっ
たり薄かったり歪になる。私はこのようなろくろ挽きを、「よたよた轆轤」と言ってい
る。我流で1年や2年修業してもなかなかうまく行かない。易しいようで難しいのだ。し
かしコツを掴むと簡単に出来てしまう。我が教室でもこの芯立てを初めて行う場合
に、うまくできた者は一人もいない。
 うまく立てる第一のコツは、両肘を体に固定することだ。肘が固定されないと腕が
ぐらつくので、芯がぶれてしまう。私は足の太ももに固定するよう指導している。これ
で大体はうまく行く。しかし、完ぺきに行うためには、掌の形や力の加え方、轆轤の
回転速度など、言葉で表現し得ないコツがある。
 無理を承知であえて言葉で説明するならば、粘土の下部では小指の付け根に、
中部では掌全体に、上部では親指の付け根に力を入れ、頭部は親指でしっかり
押さえる。特に頭部では角がぐらつきやすいので角を親指の付け根で押して丸み
をつける。
 とにかく練習練習の繰り返ししかない。その結果として体得できるものなのだ。



令和4年2月 「生徒の失敗は先生の失敗」

  我が陶芸教室の生徒Aさんは全道展の会友だ。会員を目指して制作に励んでいる。もちろん私の指導を受けてのことであり、焼成も我が窯で他の生徒と一緒だ。

 今年度の制作を1月から始めたが、作品が焼成途中で破壊した。大壺であるから手間も材料も多く費やした作品であり、作者であるAさんは勿論、指導者である私もそのショックは極めて大きかった。窯の中で破裂すれば近くに置かれた他の作品も破損する。今回は最小限と言える程度に止まり幸いだった。

原因は明確でないが、大壺の底部を削って高台をつける作業で、削りが不足し底が厚過ぎたのではないかと考えられる。破裂したのが底部だけだからだ。Aさんを信じて底部の厚さを確認しなかった私にも責任がある。Aさんは今二つ目の作品を制作中であるが、粘り強くがんばっている。

 一つ目の制作にかかった費用はどうするか。誰もが気になるところだろう。作品が破壊しても技術的な指導を正常に行ったのであるから、全額請求もあり得るが、作者の気持ちも考慮し授業料は半額、材料費は約3分の1納めて頂いた。

二つ目は一つ目の轍を踏まないように慎重に進めているが、費用は正常になる。今までも同じであったが、焼成し終わるまで、指導者としての責任は重く、ドキドキひやひやものだ。「生徒の失敗は先生の失敗だ。」私の信念だ。


令和4年12月 「陶芸と資金」

 芸術を極めるには資金が必要。特に陶芸はかかる費用が少なくない。
 まず先輩師匠から学ばなければならないのが技術の伝承だ。私は大学で工芸を専攻したことで技術の基本を学んだ。その後瀬戸市や益子町で陶芸の専門家から、さらに進んだ技術を習得した。陶芸には技術と感性が必要だ。感性は先輩たちの優れた作品を見ることによって磨かれるが、土台は自身が持っている感受性に大きく影響される。
 陶芸には大小さまざまな道具が必要だ。私は殆ど自作しているが、購入したものも少しはある。陶芸には工房が必要だ。しかもその工房には様々な施設が設置される。轆轤、土練機、たたら製機、コンプレッサー、電動霧吹き機、ポットミル(釉薬ミキサー)、電動喚気扇、等々いずれも高価なものだ。陶芸施設の中で別格に高価なものは何といっても窯だ。
 これだけあれば陶芸ができるわけではない。制作であるから原材料が必要だ。粘土、釉薬(自作するにしてもその原材料が必要)、窯の燃料など原材料はすべて消耗品だ。陶芸を行うにはこのように技術と感性の研修費、道具と施設の購入費、窯と工房の設置費、原材料の購入費、そして電気料、上下水道などの運営費、など、多額の資金が必要なのだ。
 私は、教職を終えて直ちにプロの陶芸家になったが、退職金の全額を使っても足りず、妻からの借金と手持ちの資金をプラスすることにより、何とかスタートすることができた。60歳を過ぎて華々しい第2の人生がスタートした。現在88歳、いまだ陶芸教室も制作販売も行っている。
 
 

 





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